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酒井一圭(純烈)はあばれはっちゃくで競馬評論家?プロレスラ ―の経歴も!

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酒井一圭(さかいかずよし)さんをリーダーとする純烈は紅白歌合戦出場を夢に活動を続け、スーパー銭湯のアイドルとして念願の紅白歌合戦への出場を果たしました。

大ブレークした純烈のリーダー酒井一圭さんは子役から戦隊もの、そしてプロレスラーとしても活躍していたようです。

今回はそんな異色の経歴を持つ酒井一圭さんにスポットを当てて掘り下げます。

酒井一圭は五代目あばれはっちゃくだった!

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先ずは酒井一圭さんの簡単なプロフィールから紹介しましょう。

  • 生年月日:1975620日生
  • 出身:大阪府吹田市
  • 身長:186cm
  • 体重:93kg
  • 血液型:AB

引用元:酒井 一圭|純烈 Official Website (junretsu-official.com)

酒井一圭さんは、19838歳の時に宝映テレビプロダクションに入団。

1985年「逆転あばれはっちゃく」にて5代目桜間長太郎(主演)として子役デビューを果たします。

あばれはっちゃくは1979年から始まった大人気テレビドラマシリーズでした。

酒井一圭さんの子供の頃の夢が、あばれはっちゃくになることだったそうなので、

芸能界入りから僅か1年で夢が叶ったことになります。

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ガキ大将が主人公のこのドラマはヒラメキを武器に難題をクリアしていく痛快劇です。

毎回騒動を起こしている長太郎に父親役東野英心の、

「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」

「この、バッカヤロー!」という、決まり文句は覚えている人も少なくないのではないでしょうか。

印象に強く残るドラマでしたが、酒井一圭さんの5代目あばれはっちゃくからは父ちゃんが父さんとなり、

オープニング曲もガラリと変わり、お決まりだった父親に張り倒されるシーンも無くなってしまうなど当時の世相を感じさせる流れとなりました。

5代目あばれはっちゃくは半年で放送終了となってしまいましたが、

あばれはっちゃく最期を飾ったのが酒井一圭さんだったのです。

その後、しばらく子役として活動していましたが、学業専念のため活動を休止しています。

一躍スターダムとなったために純烈のイメージが強く、酒井一圭さんが子どもの頃から芸能の道に進んでいたとは想像も出来ませんでした。



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酒井一圭は競馬評論家もしていた?

 

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酒井一圭さんは活動休止から10年近く経っての1994年にドラマ「横浜ばっくれ隊」から芸能活動を再開しています。

そして、2001年スーパー戦隊シリーズ「百獣戦隊ガオレンジャー」にレギュラー出演し、今放送終了後から競馬専門チャンネル・グリーンチャンネルに出演

酒井一圭さんと競馬が中々結びつきませんが、調べてみると子供の頃から親族の方々の影響で競馬に慣れ親しんでいたことが分かりました。

3歳までが大阪でその後は多摩ニュータウンに引っ越したようですが、夏休みは祖父のいる大阪で過ごしていたそうです。

その祖父が競馬好きだったらしく毎週末に場外馬券売り場に連れていかれたとインタビューで答えています。

馬券場ではお小遣いをくれる人もいて馬券売り場のイメージは悪くなかったそうです。そして、

芸能界復帰していた19歳の頃、競馬場の近くに住みたいと思っていた願い通りに東京競馬場のある府中に住み始めたとも語っていました。

競馬に関するコラムやエッセイの寄稿も多く、酒井一圭さんのツイッターを見ると、

純烈の投稿の合間合間に競馬情報が書かれています。

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その中に多く見られたのが「日刊ゲンダイ 競馬」で、200126歳の頃から競馬を始めて、競馬歴20年とプロフィールにも書かれています。

1でコラムを執筆、遡ると20191月からの投稿になっていました。2

020215日からは「純烈リーダー 軍資金10倍超を狙え!」と題して今日まで続いています。

動画配信サービスでも競馬予想番組や競馬座談会に参加するなど、競馬評論家としても認められている証しではないでしょうか。



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酒井一圭はプロレスラーの経歴も!

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酒井一圭さんを知れば知るほど、活動の場の範囲が広いことが分かります。

そして自分がこうなりたいと思うことが次々と叶っている幸運の持ち主と言えるでしょう。

酒井一圭さんは純烈のように長きに渡って下積みの時代もありつつ、

さまざまな経験を経て芸能界における確固たる地位を確立していますが、プロレスラーとしてもデビューしていました。

子供の頃、あばれはっちゃくになることともう1アントニオ猪木(プロレスラー)になることが夢だったと明かしています。

2005年にDDTプロレスリングの中の別ブランドである「マッスル」に参戦したのです。

酒井一圭HGというリング名でハードゲイキャラで出場しており、プロレス名鑑にも掲載されました。

junretu-sakai

本人談によると、仲間のつてでプロレスに辿り着き、自分が?と思いながらも団体側の「やりましょう」の一言をもらったと言います。

酒井一圭さんは高長身で体格も良かったからでしょうか。

sakai-kazuyoshi引用元:twitter

報道陣へのお披露目まで設定されたそうで、スムーズに物事が運びリングデビューが決まったのです。

仲間に恵まれたと話す酒井一圭さんは、

「生の舞台は180度の世界だけど、プロレスの舞台は360度や」。

仲間のそんな言葉に後押しされた酒井は、約5年間、リングに立ち続け、ライブ感を磨いたという。

破天荒すぎる半生を、酒井は「仲間に恵まれてというか、出会いですね。流れ流れて」と振り返っていた。

引用元:https://www.sponichi.co.jp/

2010年の「マッスルハウス10」で引退を表明し、この時息子さんが審判員としてリングに立っていたという情報もあります。

根っからプロレス好きの酒井一圭さんのこと、引退後もプロレスには関わっていました。

DDTプロレスのイベントには参加しており、2019年の「マッスルマニア2019in両国」では参戦もしています。

最近のプロレス関連情報としてツイッターを見ると、DDTプロレスで結成した戦闘ユニット準烈の解散を受けて酒井一圭がツイートしていました。(20211013日)

と労いの言葉を送っています。



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まとめ

これまで酒井一圭さんは、あばれはっちゃく、プロレスラー、競馬評論家、純烈と思い通りに人生を歩んできています。

次なる夢の実現は何なのか。

これからの益々の活躍を楽しみに応援していきたいものです。

酒井一圭の奥さんや子供はどんな人?

https://world-bonsai-saitama.jp/junretu-sakai-wife-chaild/

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